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シン・エヴァンゲリオン劇場版感想 - 呪縛は解かれなかった

ネタバレ注意

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最高の映画でした

公開日初日ですがシン・エヴァンゲリオン劇場版を観てきました。 素晴らしい終わり方でした、星5つ中100です、文句の付けようがありません。 さようなら、エヴァンゲリオン、そのセリフに一片の偽りなく、全てのカルマが精算されていくような、そんな映画でした。

シンジ/ゲンドウ/レイ/アスカ/そしてカヲル君までもが、エヴァンゲリオンという輪廻に囚われ、これまで苦しんできた様をもういいんだよといわんばかりの、大円満ハッピーエンドでした。

同時に、エヴァ自体が庵野監督を映す鏡である作品であるというのは、テレビシリーズの頃から、旧劇の頃から言われていることで、これ自体についても如何なく投影されていました。

Q で失語症になったシンジ自体を救ってくれたのは、シンジを愛してくれる人たちでした。 そして、もう一度立ち上がり、親の始めたこと、自分自身のことに決着をつけるというシナリオ自体が、庵野監督がエヴァ新劇を始めた過程での監督自身の出来事であり、そして辿り着いたゴールであると思います。

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旧劇場版であんなに苦しい終わり方を描いた監督が、ここまで優しさに溢れた終わり方を描いてくれた、それだけでどこか救われたような気がして、そして監督が救われて良かったという想いで思わず劇場で涙してしまいました。

映像面でもパンフレットを読めばわかりますが、これまでで挑戦してこなかったさまざまな事に挑戦されたとのことで、本当にベテランのスタッフから、新しく加わった方までたくさんの人の想いがあの映像美を作られたんだなということがわかります。 もう一度観にいく際はその辺りも含めてしっかり観てみようと思います。

エヴァンゲリオンの呪縛は、シン・エヴァンゲオン劇場版によって間違いなく引導を渡されたと思います。 これまで本当に、私たちを楽しませてくれてありがとうございました。

でも、私の呪縛は解かれなかった

その話をします。

碇シンジ

物語の主人公でもある碇シンジは過去 2 度に渡り世界を破滅に導こうとし、親友のカヲル君を目の前で爆殺され失うなど、常人では耐えられない悲劇により、何もしない方が良いと、セルフネグレクトになります。

そんな時、彼を救ってくれたのは彼を分け隔てなく接してくれる旧友、彼を慕う綾波(そっくりさん)、なんだかんだちょっかい出してくれるアスカ、なんだかんだシンジ君を信じているミサトさん、そして何より、真意が読めないまま圧倒的な肯定として描かれるマリ、その他にも葛藤を抱えつつもシンジに望みを託すヴィレのメンバーなど、沢山の人に支えられています。

これだけの人に支えられたからこそ、立ち上がることができました。それはエヴァパイロットという役得を込みにしても、シンジの積み上げてきたもの、シンジが皆の期待に答えようと必死に頑張った褒美だったのかもしれません。

翻って現実はどうか、家族/友人/恋人、そのいずれもない人間はどうするのでしょうか。

とてつもない孤独に苛まされている人はどうなのか、そもそもとして、AT フィールドという心の壁をもつ世界であるエヴァにおいて、真に孤独な人はどうなったのか、今作ではそれは碇ゲンドウと、アスカであったと思います。

碇ゲンドウ

碇ゲンドウは最も孤独な人間に寄せて書かれた人物となりました。 幼少からの孤独、それを変えてしまった妻のユイを追い続ける姿、周りに頼ることなく、周りを見るわけでもなく、自ら進んでの孤独そのものでした。 しかし、彼をそのままに愛してくれたのはユイだけでした。その喪失の絶望たるや、計り知れないです。 いつもニヤニヤしてるイメージですが、今作では初めて?その心内の詳細が語られ、最も感情移入できるキャラとも言えるかもしれません。

そんなゲンドウに突きつけられた答えはシンジでした。作中ではシンジの中にいたユイに気付けなかったゲンドウの後悔が十字架となります。

アスカ

今作のアスカの細かい設定は一旦置いて、アスカもまたその出自から孤独に過ごし、エヴァに乗ることで誰も辛い思いをしなくても良くなるようにと直向きに生きた一方で、誰からも承認されず、飢え続けたままでした。

ゲンドウが一時的に救われていた一方、アスカは天涯孤独としてより孤独なキャラとして描かれていたかもしれません。 そんなアスカにも、ケンスケとの未来という希望が最後に添えられます。

2つからみえるメッセージ

この二つから読み取れるのは、今いる隣人を大事にしましょう、というメッセージであると自分は感じました。 そして、隣人に愛情を注げなかった(注がなかったこと自体が一つの愛情であると説明されますが)ゲンドウは、本来の幸せを成就することができたのか、いや、正直願いは成就されたっぽいですがあまり幸せな描かれ方とはいえないように思います。

これはとても素敵なメッセージでありますが、果たしてこの殺伐な世の中でそれを実践できるでしょうか。

人は誤解され、嘘をつき、裏切られ、傷付け合います。 その過程がこれまでの話であった、その末に勝ち取った結果ともいえるため、ある意味では本作は賛歌であるといえます。 でも私はまだそこにたどり着けていない。今は期待に応えられていても、そこからこぼれ落ちた時にどうなってしまうのか、そこに救いはあるのか、それが、本作では描かれなかった部分であると思います。

本当の孤独に対する回答ではなく、孤独を解く鍵は近くにある、という着地。 それはエヴァンゲリオンにとって素晴らしい終着点ですが、私の人生ではまだ知らない天井です。

終わりに

最近、「花束みたいな恋をした」も観たのですが、救いがない点ではこちらの方が共感できました。

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まさに、庵野監督は「シン・エヴァ」にたどり着けますが、多くの人間は「花束みたいな恋をした」になります。庵野監督はマリ(安野モヨコさん)に会えましたが...。

それでいうと、シンジとアスカのやりとりはそれっぽかったのかな...まだ何回かみて、改めて感想を反芻したいですね。

「シン・エヴァ」は私にとっては解脱した人の説法でした。エヴァンゲリオンとしてみれば至上の景色でした。しかし私の人生としては天国の絵画でした。 「孤独」とそれに付随する「人と分かり合えない」という呪縛(先入観)は、美しい絵画を見ただけでは解けませんでした。しかし、これが監督が示してくれた道であるので、しっかり味わいたいと思います。

ここまで描いてて思いましたが普通に自分が「救いアレルギー」のひねくれた人間なだけな気がしています。男女関係や家族関係を経て、人への希望がなくなりすぎてしまいました。

ガンダムに続いてエヴァも監督は「アニメの世界(アダルトチルドレン)を卒業しろ」と言っております。 アムロにはホワイトベースのクルーという還る場所があり、エヴァではエヴァンゲリオンのいない世界が提示されました。 まどか☆マギカ的な演出で、ピングドラムみたいな終わり方をしました、そんな気がしている。

私はいつ解脱できるのでしょうか。とにかく、実は彼女ができましたので、彼女を含め今いる隣人を大事にしたいと思います。もう「彼女と別れました」記事は書きたくないですね。 でも、この感情があるうちに、孤独に対して違う答えを出してみたいですね。

dontleave.hatenablog.jp