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「さよならの朝に約束の花をかざろう」の分かりにくいところを考察

前回の記事

dontleave.hatenablog.jp

はほとんど感想だったので、考察記事としてこちらを書きたいと思います。

自分で見ていて分かりにくかった所や、他の方のレビューを見てそこは違うだろ!もったいね〜〜〜〜〜〜と思った所を、パンフレット、(まだ読んでる途中の)ユリイカ(平成30年3月臨時増刊号)、自分の私見を交えて見て行きたいと思います。

ネタバレ満載なので未視聴の方は見ない方がよろしいです。あとまだ観てない人はマジで観て、人生の糧に絶対になるから

タイトル「さよならの朝に約束の花をかざろう」の意味

本作のタイトルは「さよならの朝に約束の花をかざろう」ですね。

劇中で明示的に別れのタイミングで花を飾る描写がある訳ではないので、タイトルの意味がわからないという方もいらっしゃるみたいです。

落ち着いて映像をみてみると、本作では画面に花が写り込む時は非常に多いです。それらはあまりにも自然に配置されているので、美術の都合でそうなったのか、演出的意向でそうなったのかは分かりません。しかし、これらに注目するのはタイトルの意味を理解する一助となるのではないかと考えます。

いくつか「別れ」のシーンと関連するタイミングで画面に映る花をあげて行きます。

  • 冒頭、長老と別れたマキアの自室での花、またクリムとレイリアが会う場所の花畑→直後にマキアにとっての里との別れ(クリムとエリアルの別れ?)
  • 牧場時代、ディタがエリアルに謝るために花を持っていく→農場での生活との別れ
  • 王都、レイリアとイゾル、回想シーン直後の花が落下→レイリアにとっての、クリム達イオルフとの別れ
  • ドレイル、エリアルの旅立ち、部屋に飾られた花→エリアルととマキアの別れ
  • メザーテ、エリアルとディタの家、玄関に飾られた花→翌朝、マキアとエリアルの別れ

などがあると思います。

どれも朝方、もしくは前日の夜に登場し、翌朝に別れがきているというシーンが多いので、物理的な表現で言えば、「さよならの朝には花が飾られている」という、能動的ではなく結果的な描写があります。

ただ、これが別れの描写ということで決めつけると、クリムがヒビオルを置いてマキアの元を去った際は別れではなかったのかとか、最後のシーンは花がなかったのでは(タンポポの種は花と扱われるか?)という問題があるので、あくまで本質ではあるかもしれないが補助的な描写という感じがします。

次に、絵的な描写ではなく、劇中で起こった出来事と言葉に注目して考察してみます。

先にも挙げた通り、劇中では様々な別れが115分のうちに起こっています。ただ、朝に起こっている別れとなると、マキアとエリアルの別れがほとんどだと思います。(レイリアとメドメルの別れも朝ですね)

おそらく本作のメインコンテンツがマキアとエリアルの関係なので、この二人の関係性に絞って言えば、「さよなら」と「約束」が主軸で、「朝」や「花をかざろう」というのは言い換えや修飾であると考えます。

つまり、「さよなら」の時に「約束」をしようというぐらいラフに考えても良いのではないでしょうか。実際、マキアとエリアルの間には様々な約束(母親だから泣かない、母さんを守る、など)がありました。彼女達はその約束に縛られながら、でもその約束こそが彼女達という人物を織り上げてきた。だから、ポジティブな気持ちで、さよならをしてもその約束が、皆のヒビオルの中に確かに残る。という事ではないでしょうか。

因みに、最後の回想シーンで流れる音楽のタイトルが「約束の花」となっています。エリアルとの日々それ自体が、約束で織られた花だったという考え方もできるかもしれないですね。

まあ制作ブログを参照しても、タイトルは岡田麿里さんがいつも特徴的な長いタイトルをつけてらっしゃるのでその感じで行きましょうとの要望がありこうなったという背景もあるので、もちろん製作者の気持ちがあると思うのですが、まあこんな感じでいいのではないでしょうか。

制作ブログ|映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』

そんなわけで、タイトル決めが本当に苦手な私。今回もなかなか決まらず、仮でつけていた『マキア』でいいじゃん……というムードが流れだした頃。宣伝チームから「岡田さんと言えば長いタイトルですので、別タイトルを考えてください」との発注が!動揺! 長いタイトルって難しくて、うんうん唸って、スタッフのみんなにも相談して、結局〆切を過ぎて。もうどうしようもないので、宣伝チームに「タイトル決め会議を開催してください!」とお願いしました。ホワイトボードに、いくつもタイトル候補を書いていって。それでも全員が納得するものは生まれず、今度はタイトルに使えそうな『作品のキーワード』をあげることに。

私が考えた言葉は『約束』。約束って美しいものだけど、自分と誰かを縛るものでもありますよね。それが足枷になりながらも、縛られることで与えられる役割と安心感もあって。プラスとマイナスの両面を抱えながら、それでも約束は、自分を支えてくれる力になる……。

とのことです。なんかほぼ同じことが書いてあった・・・。

他にも、こういう解釈をされている方もいます。

さよならの朝に約束の花をかざろうのたなぴょんのネタバレレビュー・ 内容・結末 | Filmarks

マキアとエリアルの関係性の変化

本作では母としてのマキアと、子としてのエリアルが主軸ですが、劇中ではその関係がめまぐるしく変わって行きます。

出会い

出会いの時点ではマキアは母を持たないひとりぼっちでした。

エリアルも同様に母を失った直後のひとりぼっちでした。

マキアは里を失い、心の拠り所だった長老や友人も失いました、ともに日々を記録するヒビオル(布も、人も)を失った時に、一緒に泣いてくれたのはエリアルだけでした。

この時点では、マキアにとってエリアルは失ったヒビヨルの代わりであることが、後の農場での、エリアルを名付ける際のセリフからわかります。最初はエリアルのことを「レイリア」と名付けようとした点です。

マキア→失ったものの代わり→エリアル
エリアル→???→マキア

農場での生活

農場での生活を通して、エリアルは成長し、マキアのことを母として認識します。

また、マキアはミドの真似をしながら一生懸命母として振る舞えるよう努力します。

一方で母としての自分を不安に思っている描写や、自分が母として認められているのかを気にしています。

マキア→ちゃんとお母さんできてるかな→エリアル
エリアル→お母さん→マキア

メザーテ王都~放浪

王都に到着し、マキアは6年ぶりにイオルフの仲間達と出会い、レイリアの為に動きます。

それを見てエリアルは「ここにいるとお母さんじゃないみたい」と言います。

しかし、それに対してマキアは母としてエリアルをあやします。レイリアとは別に、エリアルはマキアにとって大切で誠実に接するべき人となっていることがわかります。

また、レイリアの救出に失敗して、マキアはクリムからきついコメントを貰います。

クリム達と別れた後は、マキアは一人でエリアルの面倒を見ることになって疲弊します。

私は「お母さんじゃない、真似っこだもの」と言います。それでも、エリアルにとっては大好きな母親なのです。

またエリアルはこのタイミングでマキアを守りたいという気持ちが芽生えます。

また、劇中でマキアは自分のことを母親だと言いますが、エリアルのことを自分の子供だと言った事は一度もない事も注目すべきだと思います。

マキアにとってはエリアルは大切な人であり、子供ではないのではないでしょうか。

マキア→大切な人、お母さんとして振る舞えていない→エリアル
エリアル→お母さん(守りたい)→マキア

ドレイル

マキアとエリアルは支え合って暮らしています。

マキアは泣き虫だった頃と違って、しっかり者になっているように見えます。

一方、エリアルは約15歳となり思春期真っ只中です。

パンフレットに「恋心を抱いてしまった事で」とあるようにエリアルはマキアに恋心を抱いてしまっているので、「母としての役割は放棄してほしい」と考えています。(公式パンフレット・スタッフインタビュー岡田麿里より)

一方マキアはそれになんとなく気づいていながら、母親を演じ続けます。子供の頃から育てている相手に恋愛感情を抱くのは難しい一方で、エリアルは大切で一緒に居たい存在だからです。

結果的にエリアルはそれに耐えられないことや、約束を守れないことによる苦悩、マキアを傷つけてしまうのではないかという思いからマキアのそばを離れてしまいます。

マキア→大切な人、そばに居たい→エリアル
エリアル→恋心、マキアとの関係に苦悩→マキア

幽閉期間

この期間の描写はないですが、この期間に心の変化があった事はマキアから言われているので書きます。

マキアは幽閉されている中で自分を見失いそうになる事もあれど、エリアルの事を思い出しなんとか自分を保ちます。その経験を通して、エリアルが自分を織り上げてくれた人である事を認識します。

(ちなみに幽閉シーンでエリアルが織ったヒビオルを持ちながら歌ってる曲、農場での曲「母になる日々」なんですよね、楽しかった日々を思って耐えていたのかな・・・涙)

エリアルがどう過ごしていたのかは定かではありませんが、ディタと再開し家庭を持ちます。ここでの経験はマキアから教わった愛が活きたのではないでしょうか、そしてそれに気づいていたからこそ、戦後の別れのシーンでその事を言えたのではと思います。

一方、マキアの身を案じ続けていた様子もあります。ラングと共に(というか主にラングが)マキアの捜索を続けていたと思います。それにはひどい対応をして別れてしまった負目もあるのではないでしょうか、ガキだった自分を責めているのかも?

マキア→自分を織り上げてくれた人→エリアル
エリアル→逃げてしまった負い目?愛を教えてくれた人→マキア

メザーテ(戦の中で)

メザーテでの戦の中で二人は再会を果たします

マキアはこの時点で自分はお母さんになれなかった事を強く自覚しているため、エリアルにとってはお母さんではないと考えていると思われます。それでもエリアルは自分を織り上げてくれた大切な人だという気持ちを、戦後にエリアルに伝えています。

また、この時ディタの出産に立ち会っている為、自分の知らないところでエリアルが立派に自分がなれなかった「親」になっている事を知り、距離を感じているという事もあるかもしれません。

一方エリアルは探し続けた人にようやく会えて、でも自分の発言や行動がマキアのお母さんになれなかった苦悩を生み続けていたという事実にも直面します。私はこの時の気持ちがよくわからないのですが、それでも彼は最後にマキアに母さんと声をかけます。

あなたは立派な母さんだったという事なのでしょうか、ここら辺の心情の動きが今だによくわからないです。

マキア→自分を織り上げてくれた人、距離を感じている?→エリアル
エリアル→母さん→マキア

その後

マキアはエリアルの死の直前にエリアルと再開します。

この時マキアは「ただいま」と言っていることから、マキアが迎える側(母?)としての意識がないことが伺えます。

回想シーンではエリアルとの日々が鮮明に思い出され、エリアルとの関係が特別なものだったことがわかります。

エリアルはこの時点では意識がありませんが、農場に戻り生活を続けたというのは、もしかしたらマキアに再開するためにそうしたのではないかと私は考えます。農場だけがマキアとの落ち着いた家だったので、ここになら帰ってくるかもしれないという希望があったのかもしれません。

彼がこの時点でマキアの事を母だと思っていたかは不明ですが、「おかえりなさい」と言っているように迎えるべき大切な人である事は確かなようです。

マキア→ヒビオル?逝ってしまった大切な人→エリアル
エリアル→待ち続けた人(母さん?)→マキア

結局母と子の物語だったのか

さよ朝は「母と子」の関係として描写される部分が非常に多いですが、上記で考察したように単純に母と子の関係とは言い切れない関係の変化が、作品を通して起こり続けています。

マキアという「母」も、「自分が孤独になってエリアルと出会って「母親」っていうのが一番一緒にいられる役割だと思った」(公式パンフレット・スタッフインタビュー岡田麿里より)とのことなので、マキアはエリアルと一緒に居られる関係を探し続けたというのが正しい気がします。

ユリイカ(平成30年3月臨時増刊号)の10ページあたりにもこの事について触れられて居ます。

自分には両親がいないうえで、まわりの家族、レイリアとかクリムのお父さんやお母さんを見ていて。恋人や友人など、他の関係は解消できてしまうけど、親子という関係は簡単に解消できないと感じた。だから自分はエリアル「母」であり続けたいと思っている。親子の話というより、何かを強く思い込むことで成り立っていく関係性

(ユリイカ(平成30年3月臨時増刊号)の10ページ中段付近)

つまり、親子というフォーマットはありながら、もっと広義で深い関係性を育もうとする人々の物語だったと、私は考えています。

ただ、どんな時でも二人はお互いの事を大切に思っていたということは痛いほど伝わってきて本当に素敵ですね。

レイリアは何故最後に飛び降りたのか

レイリアについては前回記事でもそれなりに触れました。

dontleave.hatenablog.jp

ユリイカを読んだところ、さらに詳しい解説がありました。

自分の孤独を埋めるために執着したものの結果、多くの大切なものを失ってしまった。その執着したメドメルに「あなたは誰?」って言われた瞬間、レイリアは自分自身の思い込みの間違いを突きつけられたんですよね。

(ユリイカ(平成30年3月臨時増刊号)の12ページ下段付近)

つまり、メドメルに執着していたのに、メドメルの中に自分は居なかった。それが彼女がイオルフのレイリアとして振る舞い飛び降りた原因なのです。

メドメルの前からいなくなったのは、メドメルを自分が縛ってしまうのも、メドメルに自分が縛られるのも良くないとレイリアが感じたからだと思いますし、実際スタッフの方々もそう解釈されている方がいるようです。(先ほどのユリイカ引用付近参照)

飛び降りたのは、自殺によって解放されたい、マキアの声が聞こえたから、イオルフのレイリアは飛べるという事を確認したかった、メドメルから去りたかった、など色々考えられると思います。

あの時マキアの声が本物だと思っていたかどうかは怪しいところですが、自分はマキアは実際に発言したが、レイリアには幻聴だと思っていたに一票投じたいです。

赤目病って何

わからん!!!!!!!

赤目病はマジで結局わかりませんでした。多分、古の生き物は現実世界ではストレス過多で病気になってしまうとか、そんな感じなのではないでしょうか?

イオルフとの関連性とか何回も見直して考えたのですが、結局あまり関係なさそうなので深く考えるだけ無駄という結論に至りました。

そういう舞台装置ということで納得しましょう。

結び

もっと細々としたところを書きたかったのですが、書き出したらえらい量になってしまったので今回はこれぐらいにしておきたいと思います。

さよ朝は「関係性の変化」「愛の形」を上映時間みっちり使って極限まで美しく描いた、本当に素晴らしい作品だと私は思います。

マジでロングラン上映してくれ、近年のオリジナルアニメ映画で一番面白いし良くできてると思う。そして観てない人いたらまじで観て。